プロ

昔と,今。
1995年。阪神大震災が起こったとき,
私の家は食器がほぼ全部割れたり,
自分の机の棚に置いていたものが全部落ちてきたり,
その程度の被害だった。

その時私は小学校4年生で,
とにかく怖くて,テレビを見ていた。
余震がおさまった頃だから,1週間後ぐらいだったかな。
親は家族全員で被災地に物を持って行こうと言い出した。
途中までは電車があって,そこからは歩く。
私のリュックには,何が入ってたんだろう。
家が崩れて,線路が曲がって,灰色で,暗かった。
避難所に荷物を届けに行ったけど,
そこにはもうすでに山のように物資があった。
私は,親には言わなかったけど,「意味ないのかも。」と思った。
『被災地に物を届けた』という記憶は残ったけど,
本当に役に立ったとは,思いにくかった。

こういった,規模の大きい災害の場合,必要なのはプロの仕事だと思う。
あらゆる情報・人員・物資を統制し,流れにのせること。
直接何かしたいという気持ちは大切だけど,直後にはあまり意味がないと思う。

今私が出来ることは,被災地が使いやすい形で,お金をおくること。
お金は,いくらあっても困らないし,
相手に任せられるので役に立つ。
だから募金は変なとこにしちゃだめだよなぁ,と
街中で声を張り上げるグループに思う。
変なとこにお金渡して詐欺られてもだめだし,
とんちんかんな時期に,とんちんかんな物やサービスをされても,困るのだ。
災害にあった地域が,使いやすい形で届けないと。

今は,昔と違って,私はもう26で,お金をかせいで,税金を納める社会人。
こんなときだからこそ,万単位の寄付をしっかりとしようと思う。

そして,もう一つ,昔と違うこと。
小学校4年生のときの私ではなくて,今の私になら出来ること。
それはわずかながらだけど,心理的ケアの知識を活かすことなのかもしれない。
学会のHPを見たら,特設サイトが出来ていた。
P/T/S/Dケアの経験は皆無だけれど,
例えばグループワークだったり,リラクゼーションだったり,
そういうことなら,もしかして,もしかして,僅かながら力になれるかもしれない。
こんな私でもボランティアで参加して良いのだったら,
学会を通したチームで,ボランティアにあたりたいな,と考えている。
月に1回ぐらいなら,自費で通えると思うし。
子どもいないから,自由に動けると思う。
到底主力にはなれないけれど,何か,何か,役に立てることがあるなら。

勉強して,大人になって,自分のできることがあるって,幸せだな。
私は社会に育ててもらって,とっても感謝してるから,
少しでも社会の役に立てるなら,こんなに嬉しいことはない。

人もモノもお金も,使えるものはぜーーんぶ使って
復興していかなくちゃ。